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最後の将軍と江戸城

江戸幕府の最後の将軍・徳川慶喜は将軍として江戸城で暮らすことはありませんでした。長州征伐のため上洛していた14代将軍・家茂が亡くなり、朝廷から将軍に任命された慶喜はそのまま京・大坂に留まって任務にあたっていたからです。慶喜の正室・美賀子も大奥に入ることはなく、慶喜が京・大坂で将軍の仕事をしている間江戸の一橋邸にいました。将軍不在のまま大政奉還、鳥羽・伏見の戦い、江戸城無血開城と時代が進んでしまったので、結局慶喜夫妻が江戸城・大奥で生活するきっかけは無くなってしまいました。

謹慎生活を支えた趣味

鳥羽・伏見の戦いで敗れたため、慶喜は朝敵として長い謹慎生活を強いられました。その間、絵画、弓・馬術、狩猟、写真撮影、鷹狩、能楽、囲碁…その他多数の趣味で日々を過ごしていました。特に絵画は狩野探渕、中島鍬次郎、高橋由一などから学んでいて、腕も良かったそうです。