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好まれた音曲

江戸時代初期、能楽や箏曲が武家の間で好まれていて大奥もその例外ではありません。盛んに能楽の謡や小鼓、能管の演奏が行なわれていたとされています。また箏は良家の子女のたしなみとしてこの時代から既に流行の楽器でもありました。時代が進むと江戸時代を代表する楽器、三味線も流行し奥女中たちも大奥で演奏を楽しんでいたそうです。しかしそれにストップをかけようとしたのが儒学者。三味線が使われる浄瑠璃は卑猥だとし、高貴な人がするものでないと取り締まりを行なうものの「三味線ができないと武家奉公ができない」という考えに歯止めは効かず庶民は隠れて演奏していたそうです。

公家文化を大奥にも

大奥では和歌もたしなみのひとつとして人気でした。和歌は京の公家で育まれた文芸で、大奥にその文化を持ち込んだのは5代将軍・綱吉の正室・信子が京から呼んだ右衛門佐とされています。以来、大奥でも上質な公家文化である和歌が得意な人物が出てきました。