大奥は女の戦場?現実はこんなところだった!

「大奥」と言うと、華やかな衣装に身を包んだ女性たちが将軍をめぐって火花を散らすような争いを繰り広げる場所、とイメージする人もいることでしょう。確かに時代劇に登場する大奥や、「大奥」そのものをタイトルに掲げるテレビドラマなどではその争いの部分を特に強調して描いています。しかし実際の大奥はここまで骨肉の争いをしていたのでしょうか。確かに激しい話、悲劇的な事件などもあったそうですが、長く続いた大奥の歴史から考えればそのようなことがいくつかあっても不思議ではないでしょう。

大奥の本来の目的は「将軍の世継ぎを産み、育てるところ」です。そして将軍の子女たちは学問はもちろん、芸術などを楽しむこともできたそうです。将軍の正室である御台所も、閉ざされた大奥の中でも季節の行事を楽しんだり奥女中が演じる歌舞伎を鑑賞したりすることも可能でした。先に挙げた「争い」も、あからさまに対立の態度をとっていた将軍の妻(側室含む)とそのお付きの女中は一部のこと、実際は人間関係を円満にするよう高価な贈り物をするなど仲が悪くならないよう必死に愛想を振りまいていた女性たちが大勢いました。

また大奥に勤める女性たちは明らかに庶民とは格が違うように感じる人もいるかもしれませんが、実は町民からも奥女中になることは可能だったのです。奥女中は高給取りだったので、なりたいと思う少女たちは雇ってもらえるよう必須教養であるお箏や三味線の練習に励み、読み書きや裁縫など特技を身につけました。こう考えると彼女たちがぐっと身近に感じられませんか?大奥の実態とされている話を基に、大奥を解剖してみましょう。

現代では考えられない大奥というシステム

大奥を一言であらわすと「ハーレム」という表現があっているのではないでしょうか?

将軍は大勢の女性の中から好きな女性を選び夜をともにしていたそうです。今では考えられないですよね。既婚者がそれをすると世間から一斉に叩かれてしまいます。

最近、日本では一般人からタレントや政治家まで不倫をする人が多くなっています。そしてそれがバレて、タレントや政治家だと謝罪会見を開いて謝罪しています。当事者同士の問題なので、謝罪会見までする意味はわかりませんが…。

タレントや政治家の不倫は出版社によって暴かれるのがほとんどです。表現の自由のもとそのようなことがなされているのでしょうが、プライパシーの保護はどこへいったのでしょうか。

このように現代では考えられない大奥のシステム。いったいどの将軍の時に生まれたシステムなのでしょうか?